理由がない感覚を明瞭にするコトの重要性(オオゲサ

「違和感がある」はマズい - ガジェット通信

 個人的な意見だけど、違和感とか、なんとなくといった理由のない感覚って大事だと思ってます。いわゆる感性というやつですが、直感的に物事の善し悪しや問題点を感付けるための能力として瞬発力に優れてますし、その物事に対して一般的・普遍的・常識的な概念ができあがってることの表明でもあると思うので。もちろん善し悪しはありますけどね。


 しかし、感覚はあくまでも感覚であって個人差がある代物であり、理由とすることはできない、と理解するコトも大事。上の記事では世界的な云々という説明になってますが、それ以前に概念を個人レベルのみでとどめつつ人に説明する、という安直さが問題じゃないかなと。「私がこう思ってるんだから人もこう思ってるはずだ」ではどうしても他者依存になりますから説明にはとしては弱いし、共感も得られない(……んだけど、これ、個人の感覚だけで理由も明確にせずに拒否できるお手軽な手段な為か、あちこちで見かける気がします。特にネット。個人的にはこれは余り好きになれないんですよね……)。やっぱり理屈として納得できるかたちにした方が説明もしやすいし、後々自分が思い出す際にも明確化しやすい。それに違和感を感じると言う事は、すなわち何かしらの問題点を既に見いだしてるのだから、それを突き詰めれば何が違和感の元になっているかまでの判明は比較的容易いと思いますし。


 ただ問題は、私の場合「なんとなく」に任せた方が得てして良い結果を生み出しがちなのに、その理由が未だにわからないこと;特に音楽とかは、下手に知識があってそれを軸に選んだ物より、ふと手に取ったりジャケ買いしたモノの方が気に入ったりする不思議。なんなのこれ;